「これは本当に大きな出来事だ![i]」これは、2023年9月、インドの首都ニューデリーで開催されたG20サミットで、米国大統領ジョー・バイデンが、ドイツ、欧州連合、フランス、インド、イタリア、サウジアラビア、UAEの首脳たちとともに、インドから湾岸諸国を経て欧州に至る経済回廊の設立に合意した際に、発した言葉である。インド・中東・欧州経済回廊(IMEC)は、海上および鉄道の輸送網、送電線、光ファイバーケーブル、水素輸送用パイプラインからなるネットワークであり、イスラエルも巻き込んだ南アジアと中東の変革的な統合を推進することが期待されている[ii]。
アラビア世界における経済的な二大巨頭であるサウジアラビアとUAEは、ちょうど網の中心にいる蜘蛛のように、現在計画中の、このアジアと欧州を結ぶ重要な貿易回廊の結節点に位置しており、これは中国の「一帯一路」構想(BRI)に代わる重要な選択肢となる可能性を秘めている。湾岸君主国の思惑は、これによって東西間の貿易および金融の流れを結ぶ中心的な橋渡し役へと躍り出ることにほかならない。
戦争とコンテナ船
IMECは、湾岸諸国が石油依存の経済から脱却しポスト石油の経済構造へ転換するという、より大きな取り組みの一環である。このコネクティビティ・プロジェクトは、湾岸地域の経済変革計画、いわゆる「ビジョン」の重要な柱となっている。その意図は、もはや世界貿易の中継拠点になることだけにとどまらない。特にサウジアラビアとUAEは、グローバルサプライチェーンをますます自国に引き込み、それによって国内経済に成長の追い風をもたらすことを目指している。その過程で湾岸の君主国は、国家による経済介入と国家資本主義をかつてない規模で活用している。
こうした動きは政治的な影響も伴う。経済的な「ビジョン」は、地域に関する野心的な将来像と歩調を合わせており、そこでは安定、緊張緩和、そして安全な経済環境の確保が中心に据えられている。イスラエル、UAE、およびその他のアラブ諸国の間で締結されたアブラハム合意、サウジアラビアとイランの接近、あるいはリヤドがテルアビブとの関係正常化に関心を示していることなど、これらはすべて、アラビア半島の君主制国家が進める経済戦略の重要な構成要素である。
同時に、湾岸協力会議(GCC)加盟国は、貿易関係だけでなく、外交政策も多角化している。西側諸国が、IMEC や欧州のイニシアチブ「グローバル・ゲートウェイ(Global Gateway)」を中国の「シルクロード」構想、すなわち「一帯一路(Belt and Road Initiative(BRI)」構想への対抗策として捉えるのに対し、サウジアラビアや UAE を筆頭とする湾岸諸国は、これらを相互補完的なものとみなしている。湾岸諸国の国際経済政策の特徴は、あらゆる枠組みに関与することにある。すなわち、経済的な連結性の強化は、自らの地政学的地位を高めるための手段としても捉えられているのである。事実、サウジアラビアと UAE は、IMECに参加する一方で、BRIにも署名している。さらに、リヤドは G20 のメンバーであるだけでなく、アブダビとともに、拡大 BRICS グループへの加盟手続きも進めている。
しかし、こういった壮大な将来構想にもかかわらず、湾岸地域はいまだ過去の亡霊から完全には解き放たれていない。2023年10月7日の ハマス による イスラエル への攻撃と、それに続くガザ地区での戦争は、地域全体、そして湾岸諸国が進めてきた経済統合プロジェクトを揺るがした。IMECの発表からわずか1か月も経たないうちに、中東における巨大インフラ構想の夢はすでに潰えたかのように見えた。新たな交易路だけでなく、既存の航路までもが突然脅威にさらされたのである。世界貿易の中心的な動脈であるイエメン沖のバブ・エル・マンデブ海峡を航行する商船に対する急進的イスラム武装組織 フーシ派の絶え間ない攻撃により、世界の貿易量の約15%が突如として停滞する事態となった。湾岸地域は、世界経済の流れの通過点およびハブとして大きな可能性を秘めているが、その地位は地域の不安定さによって大きく脅かされている。
ドバイを先行モデルとする湾岸地域の「ビジョン」
アラビア半島を横断する「シルクロード」の構築は、サウジアラビア、UAE、その他の湾岸諸国が、湾岸地域の経済拠点としての基盤を多角化し、資源に依存しない産業を育成するとともに、湾岸協力会議(GCC)加盟国を石油やガスへの依存から脱却させるという目標に沿うものである。この経済の多角化は、アラビア半島における急速な経済変革の先導役となったドバイを擁するUAEで始まった。
UAEでは、2010年にすでに国家的な「ビジョン」が打ち出されていた。その立案者であるドバイの統治者であり、UAEの首相でもあるシェイク・ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームのもと、「ビジョン2021」は、とりわけドバイの経済の多角化を進めた。この首長国は、貿易と物流の中心地、そして地域の経済・金融の中心地としての地位を確立したが、しかし現在では、他国もすでにその後を追おうとしている。
隣国のサウジアラビアは、ここ数年、UAEの成功例を熱心に模倣している。サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン・アール=サウード(MBS)皇太子は、2016年に「ビジョン2030」を発表した。このビジョンは、グローバル化の流れの中でサウジアラビアの経済を世界に向かって開放し、国内の観光および物流部門を発展させることで多国籍企業の拠点となり、最終的にはハイテク産業を誘致することを目指している。
したがって、その目標は、単に世界貿易のハブになるだけでなく、むしろ、世界のサプライチェーンをますます自国に引き込み、それによって湾岸地域での付加価値の一部を国内に留めることにある。そのため、先進的な港湾、鉄道、道路が、最新技術を活用して整備され、将来的には中間財を湾岸諸国へ輸入し、そこで加工した上でハイテク完成品として再輸出する体制の構築が目指されている。この点において、サウジアラビアはすでに一定の成果を上げており、電気自動車から防衛装備品に至るまで、先進的な工業生産の一部を国内に誘致することに成功している。
もっとも、湾岸諸国の経済目標は非常に野心的なもので、試算によると、皇太子のビジョンを実現するためには、サウジアラビアの非石油経済部門は2030年まで年間9%の成長が必要であるが、これまでのところ、その平均年間成長率はわずか2.8%にとどまっている[iii]。UAEも、その経済計画を達成するには年間7%の成長が必要だが、2024 年から 2028 年にかけての予測では、成長率は年間4%強にとどまる見込みである[iv]。こうした背景から、湾岸諸国は野心的な目標を達成するために大規模な投資を行っており、とりわけ貿易、物流、輸送のための地域インフラ整備に多額の資金を投入している。
三大陸の接点に位置して
当初から、コネクティビティ(連結性)は湾岸諸国の経済変革プロジェクトにおいて重要な役割を果たしてきた。ドバイは豪華な威信プロジェクトで知られているかもしれないが、それよりもはるかに重要だったのは、地域最大の深水港であるジュベル・アリ港の建設と、多国籍企業をこの首長国に引き付ける有利な投資環境を備えた自由貿易地区を整備したことであった。エミレーツ航空が世界的な名声を得る一方で、あまり知られていない国営企業DPワールドは、香港からロンドンに至るまでの港湾ネットワークを「真珠の首飾り」のように連ね、UAEの管理下に置くことに成功した。
こうした政策により、UAEはアジア・アフリカ・欧州を結ぶ貿易ルートの要衝としての地位を確立した。石油の輸出に加え、さまざまな製品がジュベル・アリ港、ドバイ国際空港、そしてUAE各地の貿易拠点を通過している。UAEは、この過程で複数の機能を担っている。まず第一に、商品の主要な入口拠点として機能しており、持ち込まれた商品は、ここから他地域へと再輸出される。そのため、中国、ベトナム、インドからの通信機器は、年間200億米ドル以上と、同国にとって2番目に大きな輸入品となっている。UAEの港に到着した商品の80%以上は、陸路、海路、空路で、イラク(19.9%)、イラン(16.4%)、サウジアラビア(12.5%)などの近隣諸国へ再輸出されている[v]。
第二に、UAEは、主要な原材料や戦略的物資の世界的なハブとして機能している。この国の最大の輸入品である工業加工用金は、その国際的なコネクティビティを最もよく示す事例である。年間550億ドル以上の金が輸入され(その中にはマリやスーダンなどの紛争地域からのものも含まれる)、そのうち300億ドル以上がスイス、香港、トルコなどへ再輸出されている[vi]。これらの例は、UAEの貿易ネットワークと、アブダビおよびドバイの支配層が政治的・経済的に多様な国際パートナーと緊密な関係を築こうとする戦略とが密接に結びついていることを示している。
まさにこの点こそ、サウジアラビアが「ビジョン2030」で目指している方向でもある。リヤドは地域の先行例であるUAEのモデルを模倣し、物流分野への投資によって王国を世界貿易の結節点へと発展させようとしている。サウジアラビアのメガプロジェクトNEOM(ネオム)が3大陸の戦略的な交差地点に位置しているのは偶然ではない。ここでも、砂漠に建設予定の未来型直線都市など派手な威信プロジェクトが国際的な注目を集めているが、物流や貿易といったより地味ながら重要な分野での経済変革がその背後で進められている。NEOMには、自動化された港と工業都市も建設される予定で、これによりサウジアラビアは、スエズ運河と紅海を通る貿易ルートに沿ったグローバルなサプライチェーンに組み込まれることになる。
サウジアラビアの港湾都市ジェッダとダンマーム、そしてリヤド空港も、王国が再輸出拠点としての役割を強めることに貢献している。たとえば、2022年以降、Apple社はリヤドのキング・ハーリド空港に商品の配送センターを設置しており、ここから年間10万台の電子機器がサウジアラビア国内市場およびその他のGCC諸国へ配送されている[vii]。サウジの港湾での年間コンテナ取扱量は、2016年の770万コンテナ[viii]から2023年の1,140万コンテナへと約50%増加した[ix]。
これには、最新鋭の物流ゾーンへの高額な投資に加え、官僚主義的手続きの削減も大きく貢献している。2017年以降、平均12日間かかっていた通関手続きはわずか2時間に短縮されている[x]。同王国は、世界銀行の物流パフォーマンス指標(LPI)において38位[xi]にランクされており、「ビジョン2030」開始前と比べて14ランクの改善を達成している。
コネクティビティは経済発展の原動力となるのか?
このような飛躍的な進歩にかかわらず、湾岸諸国は依然として自らの野心的な目標にはまだ大きく及んでいない。航空および海上貿易のための近代的なインフラは整備されている一方で、アラビア半島の東と西の海岸、および湾岸地域と周辺地域を結ぶ陸上交通網の整備は依然として遅れている。同様に、将来、グリーン水素を世界へ輸出するために計画されているパイプラインの建設についても進展が遅れている。しかし、こうしたインフラは、IMECのような地域横断的な経済回廊を形成する上で非常に重要であると考えられている。
サウジアラビアとUAEのインフラは、中東で最も整備されたものの部類に入るが、まだ改善の余地がある。サウジアラビア最大の鉄道インフラプロジェクト、すなわちリヤドとダンマームを結ぶ東部鉄道回廊を、リヤドと西海岸の都市ジェッダを結ぶ鉄道の建設によって補完する計画は、2000年代から計画されていたが、実際の建設が始まったのは2023年末になってからである[xii]。また、長年議論されてきたGCC諸国間の鉄道網構想についても、サウジアラビアとUAE以外では線路の敷設もほとんど進んでいない[xiii]。
貿易、物流、輸送が真の成長の原動力となるためには、湾岸諸国の経済がより持続可能で石油依存度の低い資金調達構造へと転換するとともに、経済基盤を民間部門主導のものへと強化する必要がある。しかし、これらの分野では依然として、課題が残っている。例えば、特にサウジアラビアでは、経済の多角化は主に国家の介入によって支えられており、同国では主に最大の政府系ファンドである公共投資基金(Public Investment Fund:PIF)がこうした発展を推進しており、過去10年間で約1兆3,000億米ドルを国内に投資してきた。サウジアラビア政府は、2023年一年間だけでも、国内総生産(GDP)の20%に相当する額を国内に投資している[xiv]。中国でさえ、このような国家投資はGDPのわずか2%にとどまっている[xv]。
国家財政が石油収入に大きく依存していること(UAEでは41.4%[xvi]、サウジアラビアでは67.6%[xvii])を考えると、このような膨張した国家資本主義は、湾岸地域を貿易拠点として位置づける戦略が現在の高い石油価格に大きく依存していることも意味する。サウジアラビアでは、国営石油会社サウジアラムコが 2022年と2023 年に、上場企業としては史上最高の総額2,800億米ドルの利益を記録し、その利益が配当として直接サウジ政府に支払われた[xviii]。しかし、ウクライナ戦争以降の数年間はエネルギー市場において例外的な時期であり、いずれ石油価格が再び下落することはほぼ確実である。そしてそれは湾岸地域の国家主導のインフラ計画にも影響を及ぼす可能性が高い。実際、サウジアラビアは、代替的な資金源が確保できなかったため、NEOMの野心的な計画を一部延期せざるを得なくなった。さらに、将来的に計画自体が縮小される可能性も否定できない[xix]。したがって、国家系ファンドや石油収入の急増に頼らずに、中期的に湾岸地域を東西に結ぶ貿易・産業の中心地として確立するためには、より多くの国際投資および民間投資が必要となる。しかし、これらは安定した制度的枠組みに大きく依存する。
それが実現するかどうかは、依然として不透明である。2022年、サウジアラビア経済全体における海外直接投資(FDI)は281億米ドル、GDPの2.5%に達した[xx]。しかし、「ビジョン2030」によれば、サウジアラビアの目標を達成するには、FDIをGDPの5.7%まで拡大する必要がある[xxi]。この地域の先駆者であるUAEでさえ、2022年のFDIはGDPの4.5%に留まっている[xxii]。そのため、当面の応急処置として、湾岸諸国では、例えばサウジアラビアで制定された、国際企業が政府からの受注を希望する場合、同王国に地域本部を設置することを義務付ける新法のような保護主義的な措置を、採用している。もっとも、こうした実験は誤った方向に進む可能性があることは、他の地域での経験においてすでに示されている。
政治的な波及効果:攪乱勢力(ディスラプター)から安定勢力へ
経済的な観点からは、湾岸諸国が世界貿易の頂点へ躍進する試みが成功し、果たして経済構造の転換や持続的な成長へと結びつくのか。現時点では、その答えはまだ出ていない。しかし一つ確かなのは、この動きがすでに湾岸諸国の外交戦略に大きな変化をもたらしているという点だ。
地域経済の発展には安定が不可欠である―そのことを最もよく理解しているのは、アブダビやリヤドの指導者たちである。特に、サウジアラビアは数年前までは地域紛争に積極的に関与する姿勢をみせていたが、現在、湾岸諸国の役割は大きく変わった。かつては秩序を乱す攪乱勢力(ディスラプター)とみなされることもあった彼らは今では「安定」を目指す勢力となっている。イエメンからカタール、イスラエルからイランに至るまで、湾岸の君主制国家は、地域の対立関係を抑え込み、長引く武力紛争の沈静化を図ろうとしている。これは、より安全な経済環境を整え、自国が進める経済改革プロジェクトの実施を危うくしないためである。地域の安定を重視する姿勢は、ベルリンやブリュッセルといった欧州の政策立案者とも共有されている。
もっとも、湾岸で進む変化は西側諸国にとって必ずしも歓迎すべきものばかりではない。経済の多角化と並行して、政治面でも多角化が進んでいるからだ。また、サウジアラビアとUAEは東西の経済を結ぶハブになることを目指し、あらゆる勢力ブロックとの関係強化を模索しており、米国やインド、中国やロシアにとって同様に欠かせない存在になることを狙い、北京とワシントンの大国間競争において明確な立場を取ることを避けている。
こういった姿勢は、IMECの例でもよく表れている。中国の「一帯一路」構想に対抗するプロジェクトとして大々的に発表されたこの構想は、実際には、この地域における中国の関与と密接に絡み合っている。欧州側の終点であるギリシャのピレウス港は、2016年以降、中国国有企業COSCOがその3分の2を所有している。また、サウジアラビア最大の港湾であるジェッダのレッドシー・ゲートウェイ・ターミナル(Red Sea Gateway Terminal)でも、中国は20%の非支配株主持分を保有している。さらに、新しい陸路の主要軸となる、UAEを横断する鉄道「エティハド・レール」の建設には、中国のサプライヤーが参加している[xxiii]。IMECを構成する港湾や主要鉄道駅では、「Made in China」のラベルがひときわ目立つが、これは湾岸諸国にとって矛盾ではなく、むしろ安全保障上の保険とみなされている。
湾岸全域では、多極的なアプローチと、あらゆる側面での経済的な結びつきが、地政学的地位を強化する鍵と考えられている一方で、GCC加盟国は、西アジアから北アフリカに至る近隣諸国においては、自らの覇権を揺るぎないものとして維持しようとしている。エジプトやイランといった他の地域大国の経済的弱体化は、アブダビとリヤドにとって有利に働いている。両国は、戦略的な投資を活用して、とりわけナイル川流域における地域的な支配力をさらに拡大しようとしている[xxiv]。
また、他の競合勢力に対して優位に立とうともしている。IMECは、トルコとイラクが進めるインフラ計画「イラク開発道路(Iraq Development Road)」と直接競合しており、この計画はサウジアラビアとUAEが進める回廊によって迂回される可能性がある。さらに、サウジアラビアとUAEは、この地域の経済を牽引する存在として、同様のビジネスモデルを採用しており、その結果、多国籍企業の直接投資や近隣諸国への市場アクセスなどをめぐる競争が激化しており、これは、両国のライバル関係を今後さらに激化させる要因となる可能性がある。
貿易転換が直面する政治的試練
しかし、UAEとサウジアラビアが近隣諸国の安定化と地域統合の推進を図る上で最大のリスクは、2023年10月7日にハマスがイスラエルを攻撃したこと、およびその後の展開である。サウジアラビアとイスラエル間の国交正常化に向けた交渉は、ガザ地区での戦争勃発以来、凍結状態にある。イスラエルの軍事反撃以来、イランとその代理勢力が戦争に介入することで、紛争が湾岸地域にも拡大する危険性が常に指摘されている。こうした悪夢のような経済環境が、域内貿易とインフラ投資に大きなブレーキをかけている。
インドから欧州に至る経済回廊の構想は、ガザでの戦争によって事実上頓挫した。当然のことながら、IMEC加盟国が貿易回廊の実現に向けた行動計画を策定するために予定していた会合は、代替日程を決めることもなく中止となった。さらに、このプロジェクトの最大の資金源と期待されていたG7の「グローバル・インフラ投資パートナーシップ(PGII)」も、6000億ドル規模の資金プールを持ちながら、いまだ動き出していない[xxv]。インドとUAE間で締結された単独の枠組み協定だけが発効している[xxvi]。
特にサウジアラビアは、新たな不安定化による経済的・政治的影響を強く受けている。2023年11月以降、イエメンのフーシ派民兵による紅海での船舶攻撃は、経済に深刻な影響を及ぼした。攻撃が始まる1か月前、紅海沿岸のジェッダ港は、51万1,384ものコンテナを取扱うという記録的な実績[xxvii]をあげ、輸入の28.2%を担う、サウジアラビア王国最大の玄関口であった[xxviii]。だが2024年1月には、その割合は20.5%まで落ち込んだ[xxix]。同じ期間に、サウジアラビアの月間総輸入額も197億[xxx] ドルから178億ドル[xxxi] へと減少している。これらの数字は、地域の不安定化が、アラビア半島市場への玄関口としてのサウジアラビアの魅力をいかに急速に損なっているかを物語っている。
ガザ戦争とその地域的な衝撃が、湾岸諸国の「シルクロード」構想を根本的に脅かしているにもかかわらず、あるいはそれゆえか、アブダビとリヤドは、イスラエルに繋がる陸上輸送ルートを構築しつつ、イランとの接近を同時に進めるという、注目すべき二重戦略でこれらの出来事に対応している。
しかし一方で、この紛争は、これまで十分に整備されてこなかったアラビア半島を横断する陸路貿易を、海上貿易の代替手段として急遽活性化させるという逆説的な結果をもたらした。2023年12月以降、湾岸諸国、ヨルダン、さらにはイスラエルを結ぶ一種の「ミニIMEC」とも言える輸送ルートが実質的に機能し始めている。このルートは、ドバイのジュベル・アリ港、バーレーンのミナ・サルマン港、そして2024年1月からはジェッダに代わってサウジアラビアの東海岸の港、ダンマーム港を起点としている[xxxii]。そこから、トラックは、サウジアラビアとヨルダンの国境を越えて、フーシ派の海上封鎖を回避し、アジアからの輸入品を陸路で再配送している。その一部は、イスラエルの国境を越えて運ばれる。経済界の報告によれば、紅海での攻撃によってイスラエルの戦略的な港であるエイラートも遮断されているため、ドバイやバーレーンからイスラエルへ向かう数十台のトラックが、毎日この陸路によるルートを利用しており、海路に比べて約20日も輸送時間を短縮できるという[xxxiii]。この「陸の橋」は、近隣諸国の緊張した状況下でも、サウジアラビアとUAEがイスラエルを含む地域統合の構想を放棄していないことを象徴的に示している。
他方で、湾岸諸国はイスラエルの敵対勢力との関係安定にも力を注いでいる。その一環として、サウジアラビアは、イランとの関係改善を進めるとともに、テヘランが支援するイエメンのフーシ派民兵に対する緊張緩和政策も継続している。2024年5月中旬に死去したイランのエブラーヒーム・ライースィー大統領を、事故死の前にリヤドに招き、アラブ連盟とイスラム協力機構によるパレスチナ情勢をめぐる緊急首脳会議に参加させたことは、その象徴的な例である。サウジアラビア政府は、こうした機会を利用して、イスラエルによるガザ地区での軍事行動に批判的な立場を示している[xxxiv]。このように湾岸諸国は、緊張が高まる状況にあっても、すべての側と関係を築くことで地域の安定を保とうとする戦略を手放してはいないのである。
より安定した未来へ近づきつつある?
サウジアラビアとUAEがイランとイスラエルの間で一定の距離を保つ外交姿勢を維持していることは、2023年10月7日以降の混乱を乗り越え、地域の緊張緩和と安定化に向けた取り組みが進んでいることを示唆している。湾岸諸国は、依然として、経済の多角化、地域統合、安定志向の近隣外交を組合わせることが、より良い未来への道を開くと期待している。10月7日の事件も、この状況に大きな変化をもたらすことはなかった。
それにもかかわらず、ここ数か月の展開は、中東で強固な経済的なつながりを築くには、この地域の紛争、とりわけイスラエルとパレスチナの紛争を持続的に解決することが不可欠であることを改めて浮き彫りにした。この点において、欧州が果たす役割は小さくない。IMEC経済回廊を通じて運ばれる物資の最終的な受け手としてだけでなく、ドイツをはじめとする欧州各国は、建設的な圧力と外交努力によって、関係の深い中東のパートナーを紛争から統合へと導くことで、湾岸諸国の地域戦略を後押しすることができる。これまでとは異なり、欧州には現在、湾岸地域に、地域の安定と統合という目標を共有し、その実現に向けて政治的・財政的投資を行う意思のある「対等に協力し合えるパートナー」がいるのだ。
そのためには、湾岸の主導者たちが、これまでと同様に、近隣諸国に対して引き続き積極的な役割を果たし、関係改善や地域の安定化に向けた取り組みを進めることが欠かせない。また、ガザ地区のような最も深刻かつ複雑な紛争についても、主体的かつ現実的な解決策を模索する責任を担う必要がある。ドイツと欧州は、このような取り組みを支援すべきである。こうした取り組みが実を結べば、将来、貿易物資は再びバブ・エル・マンデブ海峡を経て海上を安全に通過できるだけでなく、ダンマーム港を経由してイスラエルのハイファへと陸路で運ばれ、そこから地中海を経て欧州へと流れていく、そんな光景も決して夢ではない。
本稿は、コンラート・アデナウアー・シュティフトゥング(KAS)により2024年8月20日に発行された『Auslandsinformationen(海外情報)』2024年第2版『Was wird aus der Globalisierung(グローバリゼーションはどうなるのか)』の中で書かれたドイツ語の記事『Von Konflikt zu Konnektivität – Zur „Seidenstraße“ der Golfstaaten(対立から連結へ-湾岸諸国の「シルクロード」)』を日本語に翻訳したものである。
[i] PBS NewsHour (PBSニュース)2023年: WATCH: Biden, Modi announce economic corridor linking India to Middle East and Europe at G20, via YouTube,(You Tube動画:G20でバイデンとモディ首相、インドと中東・欧州を結ぶ経済回廊構想を発表「仮訳」)2023年9月9日配信: https://youtu.be/jBaypEDELPI [2024年6月12日閲覧]
[ii] The White House (ホワイトハウス)2023年: Memorandum of Under- standing on the Principles of an India – Middle East – Europe Economic Corridor(インド―中東―欧州経済回廊の原則に関する覚書(MOU)「仮訳」)2023年9月9日発表:https://ogy.de/93lt [2024年6月12日閲覧]
[iii] The Economist (エコノミスト誌)2024年: How to get rich in the 21st century(21世紀に富みを築く方法「仮訳」)2024年1月2日発行:https://econ.st/3VzrkYX [2024年6月12日閲覧]
[iv] 同上
[v] The Observatory of Economic Complexity (OEC) (経済複雑性観測所)2024年: Broadcasting Equipment in the United Arab Emirates(UAEの放送機器「仮訳」)2024年4月発表:https://ogy.de/ynye [2024年6月12日閲覧]
[vi] OEC 2024年: Gold in the United Arab Emirates(UAEの金「仮訳」)2024年4月発表:https://ogy.de/353g [2024年6月12日閲覧]
[vii] National Industrial Development and Logistics Program(サウジアラビアの産業成長戦略プログラム)2023年: Exponential Growth: Annual Report 2022, Saudi Vision 2030(指数関数的成長:サウジ・ビジョン2030 年次報告書2022「仮訳」)86頁:https://ogy.de/cqzq [2024年6月12日閲覧]
[viii] 国連貿易開発会議(UNCTAD)2023年:Container port throughput, annual(港湾における年間のコンテナ取扱量「仮訳」)2023年12月11日発表:https://ogy.de/yrcp [2024年7月25日閲覧]
[ix] Saudi Press Agency(サウジプレスエージェンシー)2024年:Mawani: 12.07% Increase in Container Handling across Ports in 2023(Mawani(サウジアラビア港湾庁):2023年の港湾におけるコンテナ取扱量が12.07%増加「仮訳」)2024年1月16日発行:https://ogy.de/nfou [2024年6月12日閲覧]
[x] Walid, Reem 2023年: Saudi customs clearance time reduced to just 2 hours: Official, Arab News(サウジの通関時間、わずか2時間に短縮:当局者(Arab News)「仮訳」)2023年2月9日発信:https://arab.news/cabhu [2024年6月12日閲覧]
[xi] Arvis, Jean-François ほか2023年: Connecting to Compete 2023: Trade Logistics in an Uncertain Global Economy, Weltbank(競争力を高めるためのコネクティビティ2023:不確実な世界経済における貿易物流/世界銀行「仮訳」)32頁:https://ogy.de/ k4uv [2024年6月12日閲覧]
[xii] Smith, Kevin 2023年: Consortium selected for Saudi Landbridge project management contract(サウジ・ランドブリッジ計画管理契約、コンソーシアムを選定「仮訳」)International Railway Journal(インターナショナルレールウェイ・ジャーナル)2023年12月7日発行:https://ogy.de/ vf0w [2024年6月12日閲覧]
[xiii] Economist Intelligence Unit(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット)2023年: Looming risks may derail Gulf Railway project(差し迫るリスクが湾岸鉄道プロジェクトを頓挫させる恐れ「仮訳」)2023年9月21日発行:https://ogy.de/jh1g [2024年6月12日閲覧]
[xiv] The Economist(エコノミスト誌)2024年、N. 3.
[xv] 2019年の数値。OECD 2023年発表: Government at a Glance 2023(図表でみる世界の行政改革2023年版)OECD Publishing(OECD発表)171 頁:https://ogy.de/6xtz [2024年6月12日閲覧]
[xvi] Smart Investment Gateway(スマート投資ゲートウェイ) / コンラート・アデナウアー・シュティフトゥング2022年: Diversification Profile: United Arab Emirates, GCC Economic Diversification Barometer(経済多角化プロフィール:アラブ首長国連邦(GCC経済多角化バロメーター)「仮訳」):https://ogy.de/23ia [2024年6月12日閲覧]
[xvii] Smart Investment Gateway(スマート投資ゲートウェイ) / コンラート・アデナウアー・シュティフトゥング2022年: Diversification Profile: Saudi Arabia, GCC Economic Diversification Barometer(経済多角化プロフィール:アラブ首長国連邦(GCC経済多角化バロメーター)「仮訳」):https://ogy.de/j0hd [2024年6月12日閲覧]
[xviii] Gambrell, Jon 2024年: Saudi oil giant Aramco announces $121 billion profit last year, down from 2022 record(サウジの石油大手アラムコ、昨年の利益1,210億米ドルと2022年の過去最高益から減少へ「仮訳」)The Associated Press(AP通信)2024年3月10日:https://ogy.de/po1r [2024年6月12日閲覧]
[xix] Fattah, Zainab / Martin, Matthew 2024年: Saudis Scale Back Ambition for $1.5 Trillion Desert Project Neom(サウジアラビア、1.5兆ドル規模の砂漠都市開発『ネオム』計画の野心を縮小「仮訳」)Bloomberg(ブルームバーグ)2024年4月5日発行:https://bloom.bg/ 3VaqXCA [2024年6月12日閲覧]
[xx] 世界銀行:Foreign direct investment, net inflows (BoP, current US$) – Saudi Arabia(外国直接投資(純流入額)(国際収支ベース、当年米ドル)― サウジアラビア「仮訳」):https://ogy.de/ 8yn7 [2024年6月12日閲覧]
[xxi] Barbuscia, Davide / Azhar, Saeed / Saba, Yousef 2021年: Insight: Saudi Arabia’s race to attract investment dogged by scepticism(分析:投資誘致を急ぐサウジアラビア、根強い懐疑論に直面「仮訳」)Reuters(ロイター通信)2021年11月16日発信:https://reut.rs/4eeIuCu [2024年6月12日閲覧]
[xxii] 世界銀行:Foreign direct investment, net inflows (% of GDP) – Saudi Arabia, United Arab Emirates(外国直接投資(純流入額)(対GDP) – サウジアラビア、UAE「仮訳」):https://ogy.de/ejwg [2024年6月12日閲覧]
[xxiii] Khan, Abdul Moiz 2023年: The India-Middle East- Europe Economic Corridor (IMEC): Too Little, Too Late?(インド・中東・欧州経済回廊(IMEC):手遅れで規模も小さすぎるのか?「仮訳」)Carnegie Sada(カーネギーオンラインジャーナル)2023年12月12日発信:https://ogy.de/ywnl [2024年6月12日閲覧]
[xxiv] Dienstbier, Philipp 2023年:Globale Energiemärkte und strategischer Wandel am Golf. Globale Energieengpässe als Machtinstrument(世界のエネルギー市場と湾岸地域の戦略的変化:世界的なエネルギー不足をパワー・ツールとして利用する動き「仮訳」)国別レポート、コンラート‧アデナウアー‧シュティフトゥング、2023年7月19日発行、3頁:https://ogy.de/h50f [2024年6月12日閲覧]
[xxv] Siyech, Mohammed Sinan 2024年: Will the Gaza War Derail the India-Middle East-Europe Economic Corridor?(ガザ戦争はインド・中東・欧州経済回廊(IMEC)を頓挫させるのか?「仮訳」)The Arab Gulf States Institute in Washington(ワシントン・アラブ湾岸諸国研究所)2024年3月26日発表:https://ogy.de/882p [2024年6月12日閲覧]
[xxvi] Cornwell, Alexander / Kamdar, Bansari Mayur 2024年: India, UAE sign pact on trans-continental trade corridor(インドとUAE、大陸横断型貿易回廊に関する協定を締結「仮訳」)Reuters(ロイター通信)2024年2月14日発信:https://reut.rs/ 3xbJxCq [2024年6月12日閲覧]
[xxvii] Rahman, Rakin 2023年: Jeddah Islamic Port sets record container throughput in October(ジェッダ・イスラム港、10月のコンテナ取扱量で過去最高を記録「仮訳」)Port Technology International(港湾技術研究所)2023年11月6日発信:https://ogy.de/hjk4 [2024年6月12日閲覧]
[xxviii] General Authority for Statistics of the Kingdom of Saudi Arabia(サウジアラビア王国統計総局 (GASTAT))2023年: International Trade October 2023(2023年10月現在の国際貿易)2023年10月:https://ogy.de/5tzb [2024年6月12日閲覧]
[xxix] GASTAT 2024年: International Trade January 2024(2024年1月現在の国際貿易)2024年1月:https://ogy.de/nd7x [2024年6月12日閲覧]
[xxx] GASTAT 2023年、N. 28.
[xxxi] GASTAT 2024年、N. 29.
[xxxii] 同上
[xxxiii] Voice of America (ヴォイス・オブ・アメリカ)2024年: Red Sea Attacks Foster Arab-Israeli Trade Link by Land(紅海での攻撃が、陸路によるアラブ・イスラエル貿易の連携を後押し「仮訳」)2024年2月15日発信:https://ogy.de/qfqx [2024年6月12日閲覧]
[xxxiv] Cafiero, Giorgio 2024年: A year ago, Beijing brokered an Iran-Saudi deal. How does détente look today?(1年前、北京はイランとサウジアラビアの合意を仲介した。現在、両国の緊張緩和はどのような状況にあるのか?「仮訳」)Atlantic Council(アトランティック・カウンシル)2024年3月6日発行:https://ogy.de/ny07 [2024年6月12日閲覧]